常平倉(じょうへいそう)
�@奈良時代,帰路にある運脚の困窮を救済したり,京中の穀物価格を調節するために設けられた官倉。唐の制度にならい,759年(天平宝字3)に恵美押勝(えみのおしかつ)によって創設された。常平とは穀価を常に平準にするという意味。諸国公廨稲(くげとう)を財源として京の左右平準署が管理した。平準署は771年(宝亀2)に廃止されるが,9~10世紀には常平所や穀倉院が米価調節の任務を請け負った。�A江戸時代,米価の調節を目的に設置された米倉。義倉(ぎそう)・社倉とともに三倉の一つ。米が豊富で安価なときに貯穀し,不足・高騰の際に安く売り払った。また飢饉・災害の備荒貯蓄ともなった。貝原益軒・太宰春台(だざいしゅんだい)らにより有益性が主張された。会津・水戸・高知・鹿児島諸藩などで設置されたものが著名である。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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