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4コマで見る宇宙開発<スプートニク・ショック>
1957年10月4日にソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功。
それは現代の私たちの生活にも影響を及ぼしている大事件だったんです。
宇宙開発がもたらした恩恵の背景をざっくりと4コマで!
4コマで見る宇宙開発<スプートニク・ショック>
関連用語
スプートニク
Sputnik ソ連の人工衛星。ロシア語で「同行者」の意味。1957年10月4日,バイコヌール基地から打ち上げられ,人類最初の人工衛星となった。このことはソ連のロケット技術,総じて科学技術の高さを示し,西側諸国に大きな衝撃を与えた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
山川 世界史小辞典(改訂新版):スプートニク
宇宙開発(うちゅうかいはつ)
宇宙飛行可能な観測・探査ロケット開発の動因は,第3回地球観測年(1957~58年)ではなく,冷戦期(45~89年)の大陸間弾道弾(ICBM)搭載可能な大型ロケットの開発競争であった。旧ソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号打ち上げに成功した(57年)ことは,アメリカへ甚大な衝撃「スプートニク・ショック」を与え,1960年代以降の宇宙開発を含む自然科学研究・教育へのめざましい整備,投資拡大をもたらした。有人宇宙飛行も旧ソ連に先んじられたアメリカは,ケネディ大統領提唱のアポロ計画(11号月面着陸,69年)の成功で面目を一新した。大気圏外の宇宙と地上を往復,再利用するスペースシャトルは70年代から開発され,81年就航の「コロンビア」が1番機である。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
山川 世界史小辞典(改訂新版):宇宙開発(うちゅうかいはつ)
冷戦(れいせん)
Cold War 第二次世界大戦後のアメリカとソ連との間に生じた緊張をさす言葉で,「戦闘のない敵対」を意味する。ソ連がドイツ敗北に乗じて東欧・中欧に自国の勢力圏を拡張したのに対して,アメリカが「封じ込め政策」をとったために緊張が生じた。冷戦はその性質上,開始と終了の時期は明確ではないが,通常1946年から47年にかけて始まったとされる。緊張緩和がみられた55年,63年,また72年に冷戦は終わったという見方があったが,いずれもあとで打ち消され,80年代初頭には「新冷戦」が始まったといわれた。89年に東欧の共産党支配体制の崩壊,「ベルリンの壁」の崩壊があり,91年にはソ連自体も解体したので,それ以後は89年をもって冷戦は終結したということがふつうになった。冷戦が第二次世界大戦直後から80年代末まで続いたと考えれば,その間には緊張が和らいだ時期もあったから,冷戦時代とは,政治・経済体制とそれを支えるイデオロギーとを異にするアメリカおよび西側諸国とソ連圏との対抗関係が,国際政治の基本的性格を形成していた時代だったと定義するのが適当である。冷戦は「長い平和の時代」だったという見方もあるが,62年のキューバ危機のように米ソ戦争の危険が切迫したときもあった。アジアではアメリカは共産主義勢力の武力による拡張を防ぐために局地戦争としては大きな戦争をしており,冷戦時代のアジアはヨーロッパと状況が異なっていた。また東アジアにはヨーロッパと違い,中ソという二つの共産主義大国があり,アメリカの同盟国もまとまりがなく,それぞれ個別的にアメリカと結びついていた。冷戦の時代,ソ連は軍事力ではアメリカに対抗できたが,その他の面では遠く及ばなかった。アメリカが経済先進国として復興した西ヨーロッパ,日本との同盟を維持したのに対して,ソ連は中国とも険悪な関係になり,中国は72年に西側との関係を改善した。ソ連がゴルバチョフ時代に冷戦からの転換を志向したのも,米ソの力の格差と自国の国際的孤立のためである。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
山川 世界史小辞典(改訂新版):冷戦(れいせん)
ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソヴィエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう)
最高ソヴィエトともいう。ソ連の最高国家機構。人口30万人に1人の比率で選挙される代議員からなる連邦会議と連邦構成の各共和国,自治共和国,自治区,民族区の代表からなる民族会議の両院よりなる。両院は対等で,立法・経済計画と予算の承認,憲法の改正,および幹部会,閣僚会議,最高裁判所判事・検事総長を選出する。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
山川 世界史小辞典(改訂新版):ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソヴィエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう)
ソヴィエト
Sovet ロシア語で「会議」の意。1905年革命の過程で,工場を母体とする選挙にもとづく代表の会議(ソヴィエト)がペテルブルクやモスクワに生まれた。17年二月革命の際には首都に労働者・兵士代表ソヴィエトが生まれ,兵士大衆を掌握し,また全国にも各種のソヴィエトが生まれて,二重権力状態をつくりだした。十月革命でソヴィエトは全権力を握り,国家機関となった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
山川 世界史小辞典(改訂新版):ソヴィエト
アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく)
United States of America イギリス領北アメリカ13植民地が1776年独立を宣言して形成した連邦国家。最初は13州で構成されたが,西方領土に人口が増加するにつれ新しい州がつくられ,現在はハワイ,アラスカを含め50州ある。独立当初は共和国(州)の連合であったが,89年に合衆国憲法にもとづく政府が発足し,連邦共和国の体制が整った。独立後,人民主権の原則のもとで政治の民主化が進んだが,その反面,南部ではアフリカ人を奴隷とする制度が存続し,西方に拡大した。アメリカは独立戦争の講和に際してミシシッピ川を西境とする領土を獲得し,さらに19世紀半ばまでに太平洋岸にまで領土を広げた。19世紀半ば奴隷制の正統性をめぐる南北の対立が激化し,ついに1861年南部諸州が合衆国から脱退を企て南北戦争が始まった。4年に及ぶ内戦ののち,合衆国(北部側)が勝利を収め,奴隷制は廃止され,合衆国の統一が確保された。ヨーロッパ移民の流入に促された人口増加と内陸交通の発達とにより,国内に大市場が形成され産業が急速に発展したので,80年代にはアメリカは農業と工業の双方で世界第1の生産力を持つ国になった。その頃までには西部開拓時代は終わり,先住民諸部族は指定された保留地での生活を余儀なくされた。アメリカは20世紀前半,大量生産による消費の大衆化を実現し,さらに1930年代の経済不況の後は政府の経済運営と社会保障とにおける役割を強めることにより,大企業資本主義と民主主義との結合に成功した。アメリカは19世紀には安全への脅威がなく領土拡大も容易に達成されたので,国際情勢への関心は限られていたが,20世紀にはしだいに世界政治への関与に積極的になった。30年代に一時強固な孤立主義に後退したが,第二次世界大戦勃発後は再び世界政治への関与を深め,41年に参戦して戦争の終結と戦後秩序の構築に主導的な役割を果たし,それ以来,世界の中心国として行動してきた。大戦後アメリカは奴隷制度以来の人種差別を除去することに努め,移民受容における人種差別も廃止したため,国民の人種民族構成は近年ますます多様化している。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
山川 世界史小辞典(改訂新版):アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく)
ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう)
冷戦期の東欧における地域的集団安全保障機構。1955年西ドイツの再軍備と北大西洋条約機構(NATO)加盟に対抗して,ソ連の指導のもとで東欧八カ国友好相互援助条約(ワルシャワ条約)を結んで成立。56年のソ連軍によるハンガリー介入のように,同機構は域内での政治的監視機能をも保持。また68年のチェコ介入ではブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)が展開された。アルバニアが中ソ論争を機に68年に脱退。冷戦の終結により,91年3月に軍事機構として,また7月に政治機構としても解散を決定。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
●出典
山川 日本史小辞典(改訂新版):ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう)
北大西洋条約機構(NATO)(きたたいせいようじょうやくきこう)
North Atlantic Treaty Organization 1949年4月の北大西洋条約の調印に伴い設立された西側諸国の軍事同盟機構。ソ連,東ヨーロッパ諸国からなるワルシャワ条約機構(55年)に対峙するヨーロッパ冷戦の象徴的存在で,東側諸国の軍事的脅威に対する封じ込め政策の一翼を担った。創設以来,米軍人がNATO軍総司令官を務める。アメリカ,カナダ,イギリス,フランス,イタリア,ベルギー,オランダ,ルクセンブルク,ポルトガル,デンマーク,ノルウェー,アイスランドに加え,52年にギリシア,トルコ,55年に西ドイツ,82年にスペインが加盟。66年にフランスが軍事機構から脱退(95年に部分的に復帰)し,本部はパリからブリュッセルに移転。90年10月に統一したドイツはそのままNATOに帰属した。冷戦の終結とソ連の消滅をへて,NATOは軍事的機能を変質させ,国際連合やヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE,95年にヨーロッパ安全保障協力機構〈OSCE〉と改称)と協力して域外での地域紛争への対応と平和維持活動,旧東側諸国との協議,東方拡大を打ち出した。99年にポーランド,チェコ,ハンガリーの加盟を承認し,旧ユーゴスラヴィア紛争では平和維持軍の派遣,空爆を行った。2001年9月のアメリカの「同時多発テロ」事件では,集団的自衛権を定めた北大西洋条約第5条を初めて発動。NATOはさらには2002年5月にロシアの事実上の準加盟を承認し,11月にはバルト三国など中・東欧7カ国の加盟招請を決めるなど,「ヨーロッパ,大西洋地域」の安保機構へと変貌をとげている。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
山川 世界史小辞典(改訂新版):北大西洋条約機構(NATO)(きたたいせいようじょうやくきこう)
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