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インフォグラフィックで、もういちど読む山川世界史 Vol.09 中世中国(前編)

分裂が長く続く社会の中で、日本にも伝わった多くの制度、文化が生まれました。有名な三国志の時代から南北朝時代まで、複雑な時代の変化をビジュアルで追います。

ビジュアルストーリー

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中国貴族社会の成立〜『新 もういちど読む 山川世界史』より〜

東アジア世界と中国史の大勢

東アジア世界と中国史の大勢東アジア世界の文化的中心をなしてきた中国の歴史は,長いあいだ,分裂の時代と統一の時代とをくりかえしながら展開している。

その間には,北方諸民族との激しい戦いもくりひろげられ,彼らの支配下におかれる事態を招いてもいる。こうした形勢のなかで,分裂の時代には,あたらしい思想や文化がおこっているし,統一の時代には,儒教を思想的なささえとする官僚制の王朝国家の体制を確立してもいる。しかも,その制度や文物は,中国に隣接する諸民族や国家に伝わり,その影響のもとに,それぞれが独自の文化をうみだすとともに,中国文化を中心とする東アジア文化圏をつくりだした。また北方民族などの侵入や支配をうけながらも,中国世界は,時代の経過とともに広がりを示し,隣接諸地域との交渉をつうじて,多くの民族とその文化的要素をふくむ現在の多民族国家中国の領域を形成したのである。

分裂と諸民族の侵入:魏・晋・南北朝

後漢末に華北で勢力をのばした曹操〈155~220〉の子の曹丕〈位220~226〉が後漢をほろぼして魏(220~265年)をたてると,劉備〈位221~223〉が四川で蜀(221~263年)を,孫権〈位222~252〉が江南で呉(222~280年)をたて,中国は三国分立の時代となった。その後,魏が蜀をほろぼし,魏の武将司馬炎(武帝〈位265~290〉)が魏をほろぼして晋(265~316年)をたてた。晋は呉をほろぼし,中国を統一したが(280年),まもなく一族の争い(八王の乱,290~306年)によっておとろえた。

そのころ,北辺では,匈奴をはじめとする諸民族の勢力が強くなっていた。彼らは,匈奴が南下して晋をほろぼすと,いっせいに華北に侵入し,1世紀あまりにわたってあい争う五胡十六国の時代(304~439年)となった。一方,晋の一族は江南で東晋(317~420年)をたて,これに対抗した。華北の戦乱は,山西省の平城(現在の大同)を都とする鮮卑系拓跋氏の北魏(386~534年)によって5世紀に統一された。そのころ,モンゴル高原では柔然が強力となって北魏と対抗し,江南では東晋にかわって宋(420~479年)が成立していた。これ以後の中国を南北朝時代(439~589年)といい,北朝で5王朝,南朝で4王朝が興亡した。

貴族社会の成立とその文化

混乱のなかで統一をめざした諸王朝は,支配体制を強化するために人材の登用や財政の確保につとめた。魏が九品中正という官吏登用法や屯田という土地政策をおこない,晋が占田法や課田法をおこなったのは,その例である。しかし,その政策は,豪族の社会的地位を強める結果となった。ことに九品中正は,有力な豪族が門閥貴族となるもとになった。こうしたなかで,北朝では皇帝中心の中央集権支配がおこなわれ,南朝では華北から移住した貴族たちが社会的実力をもち,皇帝の権力は弱かった。このため,北魏の孝文帝が洛陽に都を移し,財政を確保するために均田制をおこない,皇帝権を強化したような動きは,南朝では弱かった。しかし,南朝では,貴族社会のもとで江南の開発が進み,やがて中国の経済的中心となるもとがひらかれた。

自由な気風をもつ貴族社会の発達した江南は,文化の中心となり,詩(田園詩人陶淵明や『文選』の編者梁の昭明太子など)・書(書聖王羲之など)・画(『女史箴図』で知られる顧愷之など)などに代表される貴族文化が栄え,六朝文化とよばれた。この時代には漢代に重視された儒学はふるわず,老荘思想がうけいれられ,貴族社会では,哲学的な談論(清談)が好まれた。

政治的に不安定な社会では宗教がうけいれられ,漢代に伝わっていた仏教がさかんとなり,鳩摩羅什は仏典の翻訳に従事し,敦煌・雲崗・竜門には石窟寺院が造営された。一方,古くからの神仙思想や道家思想などを源流とし,現世利益的な道教が確立した。

関連用語

後漢(ごかん)

王莽(おうもう)の新朝末期の農民反乱を平定した劉秀(りゅうしゅう)(光武帝)が再興した漢王朝(25~220)。都の洛陽が前漢の都長安の東にあることから東漢ともいう…続きを読む

黄巾の乱(こうきんのらん)

後漢末の農民反乱。生活に苦しむ農民が迷信に走り,支配に反抗する風潮を利用して張角の唱える太平道が民心をとらえ,信徒は10年間で山東,河北を中心に,河南,長江岸まで数十万に達した…続きを読む

儒教(じゅきょう)

儒学(儒家の学)。孔子の教えを奉じて君臣父子の分を正し,修身治国の道を説く,支配階級のための倫理学,政治哲学。漢の武帝のとき中国の正統的教学となった…続きを読む

曹操(そうそう)

Cao Cao 155~220 三国の魏の創始者。沛(はい)国_(しょう)(安徽(あんき)省毫州(ごうしゅう)市)の人。廟号は太祖。父は宦官(かんがん)の養子で門地はなかったが,孝廉(こうれん)にあげられた…続きを読む

曹丕(そうひ)

Cao Pi 187~226(在位220~226) 三国魏の初代皇帝。諡は文帝,廟号は世祖…続きを読む

魏(ぎ)

Wei ・〔戦国〕前403~前225 晋の家臣の魏氏が,前453年韓,趙(ちょう)両氏と晋を3分して山西省西南部,河南省北部を領有し,前403年諸侯に認められた国…続きを読む

劉備(りゅうび)

Liu Bei 161~223(在位221~223) 三国の蜀漢(しょくかん)の建国者。諡は昭烈帝,字は玄徳。_(たく)(河北省_州市)の人。漢の後裔と称する…続きを読む

蜀(しょく)

魏(ぎ)・呉(ご)とともに中国の三国時代の王朝の一つ(221~263)。漢の正統と称して漢・蜀漢(しょくかん)ともよぶ…続きを読む

孫権(そんけん)

Sun Quan 182~252(在位229~252) 三国呉の初代皇帝。兄の孫策(そんさく)が江南に領土を確保したが,暗殺されたのであとを継ぎ,劉備(りゅうび)と連合して赤壁の戦いで曹操(そうそう)を破った…続きを読む

呉(ご)

Wu ・〔春秋〕?~前473 周の太王の子の太伯(たいはく)・仲雍(ちゅうよう)の兄弟が弟の季歴(きれき)(文王の父)に王位を譲り,文身(刺青(いれずみ))断髪して荊蛮(けいばん)の地に建てた国…続きを読む

江南(こうなん)

Jiangnan 言葉の意味は長江以南の地域をさすが,狭義には江蘇省の蘇州,松江,常州,浙江(せっこう)省の嘉興(かこう),湖州の五つの府を中心とする長江下流域の三角州地帯をいう…続きを読む

晋(しん)

西晋とも。中国の魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国時代に続く統一王朝(265~316)。都は洛陽。魏の末,蜀を攻撃して台頭した司馬氏は,司馬炎(しばえん)に至って魏の元帝から禅譲をうけ王朝を開いた…続きを読む

匈奴(きょうど)

Xiongnu ユーラシア草原東部で最も早く形成された遊牧国家とその民の名。言語はトルコ語かモンゴル語に近い。前209年に冒頓(ぼくとつ)が単于(ぜんう)になると東方の東胡(とうこ)や西方の月氏(げつし)などを打倒し,モンゴル高原を統一した…続きを読む

北魏(ほくぎ)

Beiwei 386~534 後魏,元魏ともいう。鮮卑(せんぴ)の拓跋氏(たくばつし)が華北に建てた王朝。西晋の末,拓跋猗盧(いろ)が盛楽(内モンゴル)にいて代王に封じられ,什翼_(じゅうよくけん)のとき前秦の苻堅(ふけん)に敗れていったん政権が瓦解したが,苻堅が_水(ひすい)の戦いで敗れたのに乗じ,386年拓跋珪(けい)(道武帝)が再建して魏王と称した…続きを読む

魏晋南北朝(ぎしんなんぼくちょう)

220年漢が滅んでから,589年隋が陳を併せて天下を統一するまで360余年間の時代を総称する。この時代をさらに区分すると,(1)三国時代=魏,呉,蜀(しょく)が鼎立した時代,(2)西晋の統一時代,(3)東晋,五胡十六国時代=江南の東晋と華北の五胡十六国が対立した時代,(4)南北朝時代=江南で宋,斉,梁(りょう),陳が交替し,華北では北魏の統一をへて,東魏,北斉と西魏,北周が対立し,北周に統一され,隋に受け継がれた時代に分かれる…続きを読む

九品中正(きゅうひんちゅうせい)

九品官人法ともいう。魏晋南北朝時代に行われた官吏登用法。220年魏が漢を奪うにあたって,尚書陳群(ちんぐん)の提案で始めたという…続きを読む

均田制(きんでんせい)

北魏の孝文帝の485年から唐の半ば(8世紀)まで行われ,国家による土地の還授を原則とした制度…続きを読む

陶潜(とうせん)

Tao Qian 365頃~427 東晋の詩人。潯陽柴桑(じんようさいそう)(江西省九江市)の人。字は淵明(えんめい)…続きを読む

昭明太子(しょうめいたいし)

Zhaoming Taizi 501~531 中国南朝梁(りょう)の皇族,文学者。武帝の長子。名は蕭統(しょうとう)…続きを読む

王羲之(おうぎし)

Wang Xizhi 307頃~365頃 東晋の書家。琅邪(ろうや)臨沂(りんぎ)(山東省臨沂市)の人…続きを読む

清談(せいだん)

漢の選挙で儒家的基準から人物を評価するのを清議といい,清談も同義であった…続きを読む

鳩摩羅什(くまらじゅう)

344~413 五胡十六国時代の仏僧。父はインド人,母は亀茲(きじ)(クチャ)王の妹…続きを読む

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