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4+1コマで和同開珎と皇朝十二銭|逆引き歴史図鑑

仮想通貨、新紙幣、そしてキャッシュレスと、いま日本の金融は大きな転換点にあります。そこで今回は、日本に始めて貨幣が流通した時代までさかのぼり、「お金」のそもそもを考えてみましょう。

変化する「お金」を見るヒント

キャッシュレス関連のニュースが、連日メディアをにぎわせています。電子マネーやクレジットカードに加え、QRコード決済のキャッシュレスサービスには、金融機関はもちろんIT企業や通信キャリアにコンビニまで、続々登場しています。

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日本は諸外国に比べ、キャッシュレス決済比率が低いと言われています。便利なのはわかりますが、長く続けてきた現金主義を変えることに、心理的な抵抗もあります。

それを乗り越えるべく、各社はキャッシュバックしたり、登録だけで商品が無料になったり、政府までもポイント還元を実施するなど、お得な制度を提供しています。

「お金」の変わり目であるコンテンポラリーな出来事ですが、実はよく似たことが1200年前に起こっています。「和同開珎」からはじまる「皇朝十二銭」の歴史を振り返ってみましょう。

4コマで和同開珎と皇朝十二銭

国産貨幣「和同開珎」は奈良時代に生まれました。政府は続いて皇朝十二銭を発行し、貨幣制度の定着を目指します。

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「和同開珎」と「皇朝十二銭」をヒントに「お金」を考える

キャッシュレスに馴染めない人がいるように、新しいお金の概念、利便性について行けない人も多かったのでしょう。普及するために「官位」を使うとは、かなりの本気度を感じます(とはいえ、お金を貯めると流通を止めてしまうので、どこまで有効性があったかは疑問です)。

250年で12もの貨幣をつくっていることから、普及は一筋縄でいかなかったことがわかります。そして平安時代以降は、銅貨に含まれる鉛の比率が増え品質が下がります。貨幣価値が安定せず、やがて使われなくなっていくのです。

平安末期に中国から宋銭が流入するまで、交換に貨幣が用いられない時代が続いたそうです。

wadokaichin05.png私たちは、「お金」をあって当たり前のものとして考えがちです。しかし、意義や利便性を皆が理解し、価値観の中に受け入れ、信用しなければ機能しません。私たちの社会は、「お金」の流通を「進める力」と「止める力」を常に内包しています。

通貨そのものではありませんが、キャッシュレス決済のキャッシュバックやポイント還元は「進める力」。激しい決済サービスの競争の中、セキュリティの不備など「止める力」の問題はシビアです。

仮想通貨にも、円やドルなど法定通貨にも同じことが言えます。「進める力」と「止める力」という視点が、大きく変わる令和の「お金」がよく見えてきます。

関連用語

和同開珎(わどうかいちん)

708年(和銅元)に発行された金属貨幣。皇朝十二銭の1番目。5月発行の銀銭と,8月発行の銅銭があり,銅銭には鋳造時期により大別して古和同と新和同がある。「和同」は年号和銅とは別の吉語か。「珎」を「寳」の省画とみて「かいほう」と読む説もあるが,「珎」は「珍」であり,「かいちん」と読む説が有力。唐の開元通宝にならって銭貨制度を整え律令国家の儀容を整備するとともに,平城京遷都に要する莫大な経費を確保し財政運用の円滑化を図るため発行された。蓄銭叙位令や,畿内の調の銭納などによって京畿内を中心に広く流通するようになった。709年8月,銀銭の使用を禁止。和同銀銭の発行には,それまで貨幣的機能を担ってきた銀の地金の機能を,和同銅銭にうけつがせるための仲立ちとして意味があった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

●出典
用語集:和同開珎(わどうかいちん)

皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)

本朝十二銭とも。和同開珎(わどうかいちん)から乾元(けんげん)大宝に至る律令国家が発行した12種類の銅銭の総称。和同開珎・万年(まんねん)通宝・神功(じんごう)開宝・隆平(りゅうへい)永宝・富寿(ふじゅ)神宝・承和(じょうわ)昌宝・長年(ちょうねん)大宝・饒益(にょうやく)神宝・貞観(じょうがん)永宝・寛平(かんぴょう)大宝・延喜通宝・乾元大宝の12種。私鋳銭の横行と貨幣価値の下落に対処するため,改鋳がくり返された。奈良時代の3種は銅を8割ほど含む比較的良質のものであったが,隆平永宝以降は改鋳のたびに品質が劣化し,銅と鉛を同量含むほどになり,形状も小型軽量化した。乾元大宝の発行を最後に国家の貨幣鋳造が断絶したのちは,平安末期に宋銭が流入するまで,交換手段として銭貨を用いない時代が続いた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

●出典
用語集:皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)

富本銭(ふほんせん)

7世紀後半に鋳造された銅銭で,和同開珎(わどうかいちん)に先行する貨幣。直径2.4cm,平均重量4.5gの円形方孔銭で,上下に「富夲」の文字,左右に七曜文(しちようもん)を配す。奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で鋳造され,天武12年(683)の詔に登場する銅銭にあたる可能性が高い。大宝律(たいほうりつ)に私鋳銭の罰則規定があること,規格が初唐期の開元通宝(かいげんつうほう)に近似すること,「富夲」の2字が五銖銭(ごしゅせん)再発行の故事に由来することなどから,富本銭は実質的価値をもった貨幣と考えられる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

●出典
用語集:富本銭(ふほんせん)

蓄銭叙位法(ちくせんじょいほう)

奈良前期の銭貨普及政策。711年(和銅4)10月発布(12月に無位・白丁を対象とする追加法制定)。一定額の銭貨を蓄積した者に,その銭貨を政府へ納入するのと引換えに位階を与えるもので,売位政策の一種である。「続日本紀」同年11月条に,蓄銭人にはじめて位階を与えたとあるのが実施に関する唯一の史料で,どの程度実施されたかは不明。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

●出典
用語集:蓄銭叙位法(ちくせんじょいほう)

私鋳銭(しちゅうせん)

民間で鋳造した銭。古代には,和同開珎(わどうかいちん)など官鋳の制銭を模した私鋳銭がしばしば不法に造られ,犯人に対する厳罰が定められた。中世に入って宋銭など中国の制銭を中心に貨幣流通が発達すると,国内での銭の私鋳はさらに盛んになり,また中国で造られた私鋳銭も流入した。この時代の私鋳銭には,宋銭・明銭模造の精巧なものから打平(うちひらめ)のようなただの金属板までさまざまな種類があり,それぞれが異なった通用価値をおびて流通し,撰銭(えりぜに)の原因となった。現存の私鋳銭のなかで生産地が明らかなものとして,大隅国加治木(かじき)で造られた加治木銭が有名だが,このほかにも銭貨の私鋳は各地で行われ,鎌倉などで遺跡から出土している。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

●出典
用語集:私鋳銭(しちゅうせん)

宋銭(そうせん)

宋代に官鋳された中国の貨幣。銅銭・鉄銭の両種があるが,中心は銅銭。1枚1文の小平銭のほか,折二・当三・当五・当十など2~10文の大銭も造られた。とくに前半の北宋のものは歴代王朝の銭貨のなかで最も鋳造量が多く,最盛期には年間500万貫をこえた。1127年に領土の北半を失った後の南宋では激減し,年間10万貫程度になった。宋銭は宋代ばかりでなく,つづく元・明のもとでも依然として重要な銭貨であり,日本にも平安中期から戦国期までの長期間,貿易によって大量に流入した。国内では中世を通じて流通貨幣の過半を占め,精銭(せいせん)の代表格であった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

●出典
用語集:宋銭(そうせん)

乾元大宝(けんげんたいほう)

最後の皇朝十二銭。958年(天徳2)3月に発行された第12番目の銅銭。延喜通宝発行から51年後にあたる。改鋳の理由と新旧銭の交換比率は不明であるが,改鋳差益を目的とし新銭1=旧銭10の割合で併用したのであろう。成分は延喜通宝同様,鉛の含有量が平均50%ときわめて高く,ほとんど鉛銭といってもよい。963年(応和3)旧銭の使用を停止し新銭を用いることとしたが,劣悪な品質による信用の低下により,銭の使用は忌避され,古代国家の銭貨鋳造は断絶した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

●出典
用語集:乾元大宝(けんげんたいほう)

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