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- 明日のために心配するな。明日のことは明日自体が心配しよう。一日にとってその日の苦労で十分である。
明日のために心配するな。明日のことは明日自体が心配しよう。一日にとってその日の苦労で十分である。
イエス=キリスト 『新約聖書』
将来はどうなるか、人は明日への不安で悩むものである。しかし、いまの自分にできることは今日を生きること。今日を自分なりに精一杯生き、やるべきことを精一杯やれば、それでよしとしよう。今日という一日を十分に生きることが、おのずとよい明日を呼びこんでくれるだろう。明日のことは明日が心配すればよい。イエスは空飛ぶ鳥のように、野に咲く花のように生きよとも説いている。将来への心配の種はつきないが、まずは自分にできる範囲で、自分なりに、自分らしく、ささやかな花を咲かせ、のびのびと空を飛ぶような気持ちで、今日という日を十分に生きてみよう。もういちど読む山川哲学 ことばと用語、69ページ、2015年、山川出版社
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