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4コマで前田利家〜すぐわかる戦国武将シリーズ〜
戦国時代を大きく変えた、織田信長、豊臣秀吉に仕え、晩年は徳川家康と以後の体制づくりに努めた前田利家。尾張国愛知郡荒子村(現,名古屋市中川区)の土豪出身の前田家が如何にして100万石を抱える大名にまで成長したのか、4コマで振り返ります。
4コマで前田利家
関連用語
前田利家(まえだとしいえ)
生没 1538~99.閏3.3 織豊期の武将。利昌の子。尾張国愛知郡荒子村の土豪の家に生まれる。はじめ織田信長に仕え,戦功により赤母衣(あかほろ)衆に加えられる。はじめ織田信長に仕え,戦功により赤母衣(あかほろ)衆に加えられる。
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前田氏(まえだし)
近世の大名家。菅原姓を称したが,詳細は不明。戦国末期,尾張国愛知郡荒子村(現,名古屋市中川区)の土豪だった前田利昌の子利家が織田信長に仕え,軍功により1575年(天正3)越前国府中に3万3000石を与えられた。
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尾張国(おわりのくに)
東海道の国。現在の愛知県北西部。「延喜式」の等級は上国。「和名抄」では海部(あま)・中島・葉栗(はぐり)・丹羽(にわ)・春部(かすがべ)・山田・愛智・智多の8郡からなる。
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織田信長(おだのぶなが)
生没 1534.5.12/28~82.6.2 戦国期~織豊期の武将。父は信秀。幼名吉法師。1546年(天文15)元服。信秀没後,本家の清須(洲)(きよす)・岩倉両織田家を滅ぼし尾張を統一。
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豊臣秀吉(とよとみひでよし) 日本史
生没 1537.2.6~98.8.18 織豊期の天下を統一した武将。尾張国愛智郡中村生れ。百姓弥右衛門の子。母はなか(天瑞院)。尾張を出,松下之綱に仕えた後,織田信長に仕える。はじめ木下藤吉郎。
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豊臣秀吉(とよとみひでよし) 世界史
1537~98 日本の安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。織田信長に仕え,頭角を現す。本能寺の変に接し,明智光秀を討ち,続いて柴田勝家を破って信長の後継者となる。1590年全国統一を果たす。
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柴田勝家(しばたかついえ)
生没 ?~1583.4.24 織豊期の武将。織田信長の老臣で,近江・北陸侵攻に戦功をあげ,1575年(天正3)北庄(きたのしょう)(現,福井市)城主となる。越前国支配を許され,府中三人衆の前田利家・佐々成政・不破光治が目付として入封し,金森長近も指揮下に加わった。
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本能寺の変(ほんのうじのへん)
1582年(天正10)6月2日,明智光秀が京都四条西洞院の本能寺に織田信長を襲い,自刃させた事件。備中国高松城を囲む豊臣秀吉の戦況報告にもとづいて,信長は毛利軍との全面対決を決意。
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賤ケ岳の戦(しずがたけのたたかい)
1583年(天正11)4月,近江国賤ケ岳(滋賀県長浜市)付近での羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家の合戦。3月に両軍は北近江で対陣したが,岐阜で挙兵した織田信孝を討つため,4月16日,秀吉は大垣城に入った。
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豊臣秀頼(とよとみひでより)
生没 1593.8.3~1615.5.8 織豊期の武将。秀吉の子。側室浅井氏(茶々のち淀殿)を母として大坂城内で誕生,拾(ひろい)と名づけられた。1594年(文禄3)伏見城に移る。
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五大老(ごたいろう)
豊臣政権末期の職制で,五奉行の上位。徳川家康・前田利家(のち同利長)・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元の5人の有力大名をいう。1598年(慶長3)8月頃,豊臣秀吉が死後の重要政務をこの5人に託したことに始まる。
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前田利長(まえだとしなが)
生没 1562.1.12~1614.5.20 織豊期~江戸初期の武将・大名。加賀国金沢藩主。藩祖前田利家の嫡男。はじめ父とともに織田信長に仕え,のち豊臣秀吉に臣従,加賀国松任,越中国守山,同国富山などを次々に居城とした。
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関ケ原の戦(せきがはらのたたかい)
1600年(慶長5)9月15日,美濃国関ケ原(現,岐阜県関ケ原町)でおきた豊臣政権の主導権を争う戦。秀吉没後の豊臣政権は,五大老・五奉行による政務代行体制をとったが,しだいに五大老筆頭の徳川家康が政務を掌握した。…続きを読む
徳川家康(とくがわいえやす)
生没 1542.12.26~1616.4.17 江戸幕府初代将軍(在職1603.2.12~05.4.16)。三河国岡崎城主松平広忠の長男。母は同刈谷城主水野忠政の女(於大(おだい)の方)。岡崎生れ。…続きを読む
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