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  4. 4コマで加藤清正〜すぐわかる戦国武将シリーズ〜

4コマで加藤清正〜すぐわかる戦国武将シリーズ〜

「武者返し」の異名をとるダイナミックな石垣の熊本城。建築した加藤清正は、豊臣秀吉の天下統一を支え、朝鮮出兵ですさまじい戦いを経験し、天下分け目の関ヶ原では家康に味方して熊本藩の初代藩主となりました。波乱万丈の人生を4コマで。

4コマで加藤清正

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関連用語

加藤清正(かとうきよまさ)

生没 1562.6.24~1611.6.24 織豊期~江戸初期の武将・大名。父は清忠。名は虎之助。豊臣秀吉に仕え,賤ケ岳(しずがたけ)七本槍の1人。1588年(天正16)肥後半国を与えられ熊本城主。国人・土豪勢力の一掃に努め…続きを読む

●出典
用語集:加藤清正(かとうきよまさ)

豊臣秀吉(とよとみひでよし)

生没 1537.2.6~98.8.18 織豊期の天下を統一した武将。尾張国愛智郡中村生れ。百姓弥右衛門の子。母はなか(天瑞院)。尾張を出,松下之綱に仕えた後,織田信長に仕える。はじめ木下藤吉郎。信長入京後は京都の民政にあたり…続きを読む

●出典
用語集:豊臣秀吉(とよとみひでよし):日本史小辞典

賤ケ岳の戦(しずがたけのたたかい)

1583年(天正11)4月,近江国賤ケ岳(滋賀県長浜市)付近での羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家の合戦。3月に両軍は北近江で対陣したが,岐阜で挙兵した織田信孝を討つため,4月16日,秀吉は大垣城に入った。その間隙をついて勝家が羽柴軍を襲い…続きを読む

●出典
用語集:賤ケ岳の戦(しずがたけのたたかい)

熊本藩(くまもとはん)

肥後藩とも。肥後国熊本(現,熊本市)を城地とする外様大藩。1587年(天正15)豊臣秀吉は球磨(くま)郡を除く肥後一国を佐々成政(さっさなりまさ)に与えたが,成政は検地を行って国衆一揆をひきおこし,翌年除封。ついで肥後国北部9郡に…続きを読む

●出典
用語集:熊本藩(くまもとはん)

文禄の役(ぶんろくのえき)

1592年(文禄元)4月,豊臣秀吉が明征服をめざして朝鮮に侵略した戦争(第1次朝鮮侵略)。朝鮮側では壬辰(じんしん)の倭乱とよぶ。これより先,秀吉は東アジア征服構想をたて,対馬の宗氏を通じて朝鮮に服属と明への先導を命じた…続きを読む

●出典
用語集:文禄の役(ぶんろくのえき)

慶長の役(けいちょうのえき)

1597年(慶長2)2月~98年11月の豊臣秀吉の第2次朝鮮侵略。朝鮮側では丁酉(ていゆう)の倭乱とよぶ。秀吉は日明講和交渉で,明皇帝の皇女を日本の天皇の后にすること,日明間の勘合を復活し官船・商船を往来させること…続きを読む

●出典
用語集:慶長の役(けいちょうのえき)

石田三成(いしだみつなり)

生没 1560~1600.10.1 織豊期の武将。父は正継。近江国石田村生れ。早くから豊臣秀吉に仕え,秀吉の奉行として活躍。1586年(天正14)堺政所(まんどころ)を勤め,小田原攻め・朝鮮出兵などに功があった…続きを読む

●出典
用語集:石田三成(いしだみつなり)

徳川家康(とくがわいえやす)

生没 1542.12.26~1616.4.17 江戸幕府初代将軍(在職1603.2.12~05.4.16)。三河国岡崎城主松平広忠の長男。母は同刈谷城主水野忠政の女(於大(おだい)の方)。岡崎生れ。幼名竹千代,通称次郎三郎,諱は元信・元康・家康と改称…続きを読む

●出典
用語:徳川家康(とくがわいえやす)

関ケ原の戦(せきがはらのたたかい)

1600年(慶長5)9月15日,美濃国関ケ原(現,岐阜県関ケ原町)でおきた豊臣政権の主導権を争う戦。秀吉没後の豊臣政権は,五大老・五奉行による政務代行体制をとったが,しだいに五大老筆頭の徳川家康が政務を掌握した…続きを読む

●出典
用語:関ケ原の戦(せきがはらのたたかい)

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