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4コマで「小笠原諸島」
2011年に世界自然遺産にも登録されている小笠原諸島。一度は行ってみたい絶景地としても有名ですが、その交通手段は今も昔も船のみ。そんな小笠原諸島はいつ発見され日本の領土となったのか。4コマで振り返ります。
4コマで「小笠原諸島」
小笠原諸島(おがさわらしょとう)
東京都の中心部から南へ約1000kmの太平洋上に散在する列島。父島・母島など30余の島からなる。島名の由来は1593年(文禄2)小笠原貞頼の発見によるとされるが,確証はない。1675年(延宝3)幕府は「無人島」と名づけ日本領土とするが,19世紀に入って欧米人が来航して帰属が国際問題となると,1861年(文久元)外国奉行などを派遣し,同島が日本領であることを宣言。76年(明治9)内務省所管,80年東京府に編入。入植者もふえ本格的な開拓が始まるが,サトウキビ栽培や捕鯨などが主産業であった。第2次大戦では硫黄島が激戦地となる。戦後は国連の信託統治領としてアメリカの軍政下にあったが,1968年(昭和43)6月復帰,東京都小笠原村となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
小笠原返還協定(おがさわらへんかんきょうてい)
1968年(昭和43)4月,日米間に締結された小笠原諸島返還をめぐる協定。第2次大戦の軍事基地とされた小笠原諸島は,敗戦とともに米軍の管理下におかれ,サンフランシスコ講和条約第3条にもとづき,アメリカが行政権・司法権・立法権を行使していた。島民の復帰運動や,同一の地位にある沖縄の返還問題とあわせて日米間の交渉が進められた結果,65年の墓参開始,67年11月の日米共同声明をへて復帰が実現した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
東京府(とうきょうふ)
東京都の前身。1868年(明治元)7月から1943年(昭和18)6月まで存続。開設当初の府域は旧町奉行の支配地内だったが,1872年5月には現行23区の範囲に拡大。その後,78年2月に伊豆七島,80年10月に小笠原諸島,93年4月に西多摩・南多摩・北多摩3郡が編入され,ほぼ境域が確定。府庁舎は当初,幸橋御門内の旧大和郡山藩邸におかれたが,94年7月新庁舎が完成し,麹町区有楽町2丁目に移転。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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