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[中世中国の歴史5]世界を席巻したモンゴル帝国〜インフォグラフィックで、もういちど読む山川世界史 Vol.13〜
中国を脅かし続けてきた北方民族が、ついに南宋を征服! 大帝国の存在しないアジアの諸民族を次々と服属させ、中東、ロシア、東欧にまで迫りました。
インフォグラフィックで「北方諸民族の活動(後)」〜『新 もういちど読む山川世界史』より〜
モンゴル帝国の成立
はじめ遼・金に服属していた
モンゴル系諸部族はしだいに勢いを増し,
13世紀初めチンギス・ハン
(テムジン〈位1206~27〉)が
高原を統一して
モンゴル(蒙古)帝国
(1206~1388年)
をたてた(1206年)。
当時アジアは分裂していて
強大な国がなかったので,
モンゴルの強力な騎馬兵は
たちまち各地を征服し,
東西にまたがる大帝国をきずいた。
東方では西夏・金を倒し,
高麗を服属させ,
西方では中央アジアの
ホラズム(フワーリズム,1077~1231年)を
ほろぼし,バトゥは
ロシアから東欧にせめいった。
またフラグは西アジアに進出して,
1258年アッバース朝を倒した。
(バトゥ、フラグは共にチンギス・ハーンの
孫で遠征軍の指揮官を務めた)
モンゴル帝国の領土は広大で,
遊牧と農耕の地域にわかれ,
民族や宗教も複雑多様であったので,
全体を画一的に統治することは
不可能であった。
チンギス・ハンが占領地を
息子たちに統治させたことから,
ロシアにキプチャク・ハン国
(1243~1502年),
中央アジアにチャガタイ・ハン国
(1227~14世紀後半)
が形成され,
さらにイラン・イラク方面に
イル・ハン国
(1258~1353年)
が成立した。
フビライ・ハン
〈位1260~94〉
の代になると,
各ハン国はそれぞれ独立し,
大ハンのもとにゆるやかに連合した。
元の中国支配
フビライ・ハンは
都をモンゴル高原のカラコルムから
大都(現在の北京)に移し,
国号を元(1271~1368年)と
称した(1271年)。
ついで南宋をほろぼして(1279年),
中国全土を完全に支配し,
さらに日本・ベトナム・ジャワなどに
遠征軍をだしたが,これは失敗した。
元は中国支配にあたり
服属した順に協力者とし,
高級官僚はモンゴル人や
中央アジア・西アジア出身の
色目人が独占した。
儒学は軽視され,
科挙もはじめはおこなわれず,
中国の知識人は大打撃をうけた。
遊牧民のモンゴル人は
商業の利益を重視し,
駅伝制を設けるなど
交通路の整備につとめたので,
貿易が陸・海ともにさかんになり,
泉州・杭州などの
海港都市はさらに繁栄した。
元はまた江南の豊かな物資を
北方に輸送するため,
大運河の整備や沿海の海運を
ひらくことにつとめた。
商業がさかんになり
貨幣の流通も広がり,
交鈔(紙幣)が普及した。
元はやがて王室の相続争いや,
財政の悪化などでおとろえ,
14世紀なかごろ白蓮教徒による
紅巾の乱(1351~66年)などの
農民反乱のなかから明がおこり,
大都を攻略したので,
元はモンゴル高原にしりぞいた
(北元,1371~88年)。
同じころ西方の諸ハン国も衰亡し,
モンゴル民族の支配時代はおわった。
東西交流と元代の文化
モンゴル帝国は広大な地域を支配したので,
東西の交通が発達した。
そのころ十字軍を
西アジアに送っていた
ローマ教皇らが,
使者をモンゴル帝国へ
派遣したこともあり,
交流は東西から進められた。
こうして元代には
ローマ・カトリックが伝えられ,
マルコ・ポーロらがおとずれた。
また西方からイスラーム教も伝えられ,
イスラームの自然科学の影響で
中国の天文学や数学が発達した。
一方,中国の絵画は,
イランのミニアチュール(細密画)に
影響をあたえ,
火薬・羅針盤はイスラームに伝えられた。
元ではモンゴル語を公用語とし,
ウイグル文字や
チベット文字系の
パスパ文字が用いられた。
中国固有の学問・思想は
ふるわなかったが,
戯曲や小説などの庶民文芸は
モンゴル人にも好まれ,
宋代に続いて発達した。
ことに戯曲は元曲とよばれるように
多くの傑作がつくられた。
関連用語
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