安保闘争(あんぽとうそう)
アメリカと日本との同盟関係の根幹である日米安全保障条約の改定に反対する闘争。日米安保条約は1951年(昭和26)調印,52年4月に10年ごとの検討を前提に発効したが,最初の継続期の60年安保闘争が有名。この条約は日本に再軍備を要求するものと一般にうけとられ,59年3月社会党・総評・原水協などが安保改定阻止国民会議を結成,共産党もオブザーバーとして参加。58年12月に誕生したブント系全学連も反対闘争に全力をあげた。60年に入って国会周辺はこれらの抗議デモが連日渦巻き,最大の盛り上がりをみせた6月15日の全学連の国会突入闘争の警官隊との衝突の中で,東大3年生樺(かんば)美智子が死亡した。新安保条約は6月19日参議院で自然承認されたが,予定されていたアイゼンハワー米大統領の来日は樺の死などの衝撃によって中止され,岸内閣は退陣。70年の安保再継続時にも抗議集会・デモ,ストライキなどが行われたが,その後80年と90年には反対行動はみられなくなった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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