安藤信正(あんどうのぶまさ)
生没 1819.11.25~71.10.8 幕末期の老中。陸奥国磐城平藩主。父は信由(のぶより)。諱ははじめ信睦(のぶゆき)。対馬守。号は鶴翁。1847年(弘化4)遺領相続。48年(嘉永元)奏者番,51年寺社奉行,58年(安政5)若年寄,60年1月老中兼外国事務専掌。同年3月桜田門外の変で井伊直弼(なおすけ)が暗殺されると,老中久世広周(くぜひろちか)とともに幕政を主導。日普修好通商条約締結やヒュースケン暗殺事件の解決など,困難な外交問題を処理。将軍徳川家茂(いえもち)の正室に孝明天皇の妹和宮を迎える計画(公武合体)を推進したため,62年(文久2)尊攘派の志士たちに襲撃され負傷(坂下門外の変),失脚した。戊辰(ぼしん)戦争では,新政府側に対抗して奥羽越列藩同盟に参加,敗退して処罰された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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