1900年(明治33)8月,義和団事件に乗じ日本が中国福建省を勢力範囲とすべく厦門占領のために出兵した事件。山県内閣は厦門における変事に際して軍隊上陸を想定していたが,台湾総督児玉源太郎と民政長官後藤新平は厦門占領を企て,東本願寺布教所焼失を機とし厦門上陸計画を断行した。しかしこれを謀略と断定した列国の抗議に直面するや作戦は中止され,責任をとって山県内閣は総辞職した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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