浅井長政(あさいながまさ)
生没 1545~73.8.28 戦国期の北近江の大名。久政の子。初名賢政。新九郎。備前守。1560年(永禄3)父の隠退で家督を継承すると六角氏との関係を絶ち,67年頃織田信長の妹お市(小谷(おだに)の方)をめとって同盟を結ぶ。翌年信長上洛の際には観音寺城攻撃の先鋒を勤める。70年(元亀元)4月,信長が越前に侵攻すると朝倉義景と結んで離反。同年6月には織田・徳川連合軍の攻撃をうけ,朝倉氏の援軍とともに姉川で大敗。以後,朝倉氏・武田信玄・延暦寺・石山本願寺などと連携し信長を苦しめた。73年(天正元)8月,朝倉氏を滅ぼした信長は続いて小谷城を攻め,久政・長政父子は自害し,浅井氏は滅亡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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