赤坂城(あかさかじょう)
鎌倉末~南北朝期に楠木正成が拠点とし,大阪府千早赤阪村にあった山城。上赤坂城と下赤坂城があった。1331年(元弘元)元弘の乱で正成は下赤坂城に籠城。幕府軍により落城するが,翌年奪還。このあと上赤坂城・千早城が築かれる。33年には上赤坂城も落城し千早城を本拠とした。南北朝期にも南朝方の拠点となり,60年(延文5・正平15)に落城した。下赤坂城の正確な位置は不明。上赤坂城は郭・堀切が残るが,現遺構は等高線に沿って続く横堀があり,戦国期に改修をうけたとみられる。周辺尾根上には猫路山城・国見山城・枡形城などの出城があり,赤坂城塞群を形成していた。国史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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