青木昆陽(あおきこんよう)
生没 1698.5.12~1769.10.12 江戸中期の儒者・蘭学者。名は敦書(あつのり),字は厚甫,通称は文蔵。昆陽は号。江戸日本橋小田原町生れ。京都古学派の伊藤東涯に入門し実証的な学風を身につける。町奉行大岡忠相(ただすけ)にみいだされ,1735年(享保20)「蕃藷考(ばんしょこう)」を刊行した。甘藷(サツマイモ)の栽培普及を積極的に進めた功績は大きい。御書物御用達をへて,40年(元文5)将軍徳川吉宗から野呂元丈(げんじょう)とともに蘭語学習を命じられ,42年(寛保2)以降は江戸参府のカピタン一行やオランダ通詞から言語・文化・社会などを学んだ。47年(延享4)評定所勤務の儒者,67年(明和4)幕府紅葉山文庫の書物奉行。昆陽の修得した成果は前野良沢(りょうたく)にうけつがれる。著書「和蘭(オランダ)文字略考」「和蘭貨幣考」「和蘭文訳」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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