相給(あいきゅう)
分給・分郷(わけごう)・相知・相知行・入会知行とも。江戸時代における所領の知行形態。石高制にもとづく江戸時代の知行は村を基本単位としていたが,1村を複数の領主が分割して知行することを相給といった。一般的には幕府が旗本や大名などに村を分郷して与えることをいうが,諸藩の領内でも家臣の知行形態の一つとして行われた。とくに幕府による知行割の再編・整備として行われた寛永期と元禄期の地方(じかた)直しを画期として,旗本が大量に配置された関東や関西・東海地方で多くの相給村が出現した。相給の村は領主の数により2給・3給などと称し,多いものでは20給に及ぶものもあった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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