鎮西探題(ちんぜいたんだい)
元寇後,鎌倉幕府が筑前国博多に設置した九州地域の統治機関およびその長官の呼称。文永・弘安の役後も,予想される元軍の再来襲にそなえ,幕府は異国警固を恒常化する必要があった。そこで鎮西御家人の関東・六波羅への出訴を禁じ,かわって鎮西に最終裁断権をもつ強力な統治機関をおいた。1284年(弘安7)鎮西特殊合議制訴訟機関,2年後の鎮西談議所をへて,93年(永仁元)以降に鎮西探題が設置された。設置の時期については93年説と96年説がある。管内の御家人に対する軍事的統率権と訴訟裁断権をもち,長官には歴代北条氏一門が任じられたが,1333年(元弘3)幕府とともに滅亡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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