1872年(明治5)11月28日に太政官から出された告諭。武士階級の旧来の特権を弾劾し,四民平等の理想を掲げ,国防を国民全体の共同義務であるとのべたもの。急進的性格の文章であったため,士族の反発をまねき,また農民も労働力をとられることへの恐れから各地で血税一揆をおこした。政府は国民の反発をやわらげるため,告諭を平易にした「てうへいのさとし」を出さざるをえなかった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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