朝堂院(ちょうどういん)
宮城(大内裏(だいだいり))にあって政務・儀式などが行われた宮内の中心的施設。朝堂の字句はすでに7世紀の文献に散見するが,朝堂院の語がみえるのは長岡京の時代であり,平安時代には八省院(はっしょういん)と称された。天皇の出御した大極(だいごく)殿,官人の朝座が設けられた朝堂,官人が列立する朝庭,その南の朝集堂などから構成される。このうち朝堂は12堂ないし8堂からなり,親王,太政官と八省をはじめとした主要な官司の官人が着座する朝座があって,律令国家の政務の中心である朝政が行われた。奈良時代には弁官殿・式部殿のように官司名が冠せられたが,818年(弘仁9)に中国風の呼称に改められた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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