朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)
通信使・朝鮮信使・朝鮮来聘使・韓使とも。15~19世紀,朝鮮国王が日本の武家政権主宰者に対して派遣した使節。狭義にはそのうち来日目的や使節の称号などで一定の条件を満たす使節。15世紀,朝鮮王朝は日本情勢探索と倭寇(わこう)禁止要請のため通信使派遣を計画し,世宗期(1419~50)の3回は実際に足利将軍に会見した。1590年(天正18)の通信使は,豊臣秀吉の朝貢使要求を対馬の宗氏が通信使派遣にすりかえて交渉した結果実現した。江戸時代は,1607~1811年(慶長12~文化8)に合計12回朝鮮国王の使節が来日した。初期の3回は答礼と捕虜帰国のための派遣で,厳密には通信使ではないが,1655年(明暦元)以降は徳川将軍の代替りごとの派遣が定例となった。使節の人員は300~500人にのぼり,朝鮮・日本側とも多大の経費と労力をかけて準備と接待にあたった。日本各地には通信使に縁のある書籍・芸能・絵画などが残されており,使節が両国文化交流のうえで大きな役割をはたしたことを示している。しかし19世紀には両国とも消極的になり,1811年対馬での聘礼(へいれい)が最後になった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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