中ソ論争(ちゅうソろんそう)
中国共産党とソ連共産党のイデオロギー的対立。論争の契機は1956年2月,ソ連共産党第20回大会でのスターリン批判。フルシチョフが秘密報告のなかで平和革命への移行とアメリカとの平和共存を主張したのに対し,中国はこれを修正主義ときびしく攻撃,アメリカ帝国主義反対のキャンペーンを展開した。60年4月イデオロギー的論争が表面化すると,7月ソ連はいっさいの対中経済援助を停止,63年の中ソ会談を最後に,両党の関係は完全に断絶した。68年8月ソ連のチェコ侵入後,中国はソ連を社会帝国主義と定義し,69年3月珍宝島での国境紛争に発展した。その後の中ソ対立のなかで,日本は「覇権」問題をめぐって重要な役割を演じた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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