中国攻め(ちゅうごくぜめ)
中国地方における織田信長と毛利輝元との戦。1576年(天正4)6月,石山本願寺を支援する毛利水軍と織田水軍が摂津国木津川河口で衝突したのが直接的対決の始まり。その後,77年10月羽柴(豊臣)秀吉が播磨国へ入り,翌月にはほぼ一国を平定。しかし78年に三木城の別所長治,摂津国在岡(ありおか)の荒木村重らの裏切りがあいつぎ,織田方は劣勢となる。79年,秀吉の工作によって備前の宇喜多氏が織田方に転じ形勢逆転。三木城・在岡城が落ち,秀吉は因幡へ進出,81年10月鳥取城を落として同国を平定,82年5月から備中国高松城を水攻めにする。翌月,本能寺の変を知った秀吉は,毛利氏と講和を結び戦は終結した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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