千早城(ちはやじょう)
千剣破城・茅葉屋城・金剛山城とも。大阪府千早赤阪村にあった楠木正成が詰の城とした南北朝期の山城。下赤坂城落城後,1332年(元弘2)の正成の再挙兵のときに築造された。上赤坂城の落城後は正成の本拠となり,幕府軍の攻撃に最後まで落城しなかった。「太平記」には,正成が千早城を舞台とし,奇策で幕府軍を悩ませたようすが記される。南北朝期にも楠木氏が拠ったが,92年(明徳3・元中9)正勝が畠山基国に攻められて落城し廃城。金剛山から延びる標高673mの尾根に位置する。南北朝期の城らしく,郭の削平は不十分なところがある。二の丸跡に千早神社が祭られる。城跡は国史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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