延暦寺の焼打(えんりゃくじのやきうち)
1571年(元亀2)9月12日,織田信長が比叡山延暦寺の根本中堂以下を焼き払い,僧俗男女3000~4000人を殺した事件。1570年の石山本願寺の挙兵に浅井・朝倉両勢が呼応したため,前後に敵をうけるかたちになった信長は延暦寺に同盟を申しでたが,延暦寺は敵対の態度を改めなかった。71年8月,信長は北近江に出馬,浅井氏の小谷(おだに)城を攻めたのち延暦寺に報復。諸堂舎や寺宝などほとんどを焼き払った。王城を鎮護する比叡山だったが,堕落と僧侶の悪行もはなはだしく,焼打がたんなる暴挙とはいいがたい面もある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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