江戸開城(えどかいじょう)
明治新政府による江戸城接収。1868年(明治元)1月の鳥羽・伏見の戦ののち,新政府は徳川慶喜(よしのぶ)追討令を発して,東海・東山・北陸の3道から東征軍を進攻させた。2月に慶喜は上野寛永寺に謹慎して恭順の意を示したが,新政府軍は強硬な処分を主張して3月15日を江戸城攻撃の日と決めた。しかし関東では一揆や打ちこわしが頻発したため,旧幕府陸軍総裁勝海舟(かいしゅう)と東征軍大参謀西郷隆盛が3月13・14日に江戸薩摩藩邸で会談し,慶喜の水戸謹慎,江戸城や軍艦・兵器の引渡しなどで合意し,総攻撃は回避された。旧幕府の将兵が大量に脱出して関東・奥羽・北越・蝦夷地で抵抗を続けたが,4月11日城は新政府軍に接収された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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