穢多(えた)
近世の主要な賤民身分の一つ。中世前期の穢多は,非人=キヨメの大きな連環のなかにあったが,中世後期には非人宿の分化により,斃牛馬処理や行刑を専業とする河原者(かわらもの)の集団が形成されていく。この河原者が近世の穢多身分につながった。幕藩権力は彼らに皮革御用・行刑役・牢番などを勤めさせ,穢多身分として編成をはかった。しかし畿内などでは皮多(かわた),関東では長吏(ちょうり)などの地域的呼称が併存し,みずからは穢多とは違うという意識をもつこともあった。一般的には百姓からなる本村の枝村を構成し,その周辺に展開する草場・旦那場・職場などとよばれる縄張り(権域)で斃牛馬処理を行った。そこで得た牛馬皮を原料として皮革業・履物業などを発展させ,また農業にも従事した。関東では穢多頭弾左衛門が非人や猿飼も支配したが,畿内では穢多頭はおらず,非人は別組織であった。このようにその存在形態は多様だが,縄張りを穢多身分内の相互秩序で形成し,穢多村間に広域的ネットワークを形成していた点で共通する。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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