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永享の乱(えいきょうのらん)

1438・39年(永享10・11)に鎌倉公方足利持氏がおこした内乱。以前から室町幕府と鎌倉府の対立が続いていたが,上杉禅秀の乱(1416・17)後,持氏が討伐した禅秀側の残党には時の将軍足利義持の扶持衆が多く含まれていたため,義持は持氏討伐軍を派遣。両者は和睦したものの,持氏は幕府に対して反抗的な態度をとりつづけた。38年,嫡子賢王丸の元服に際して将軍の偏諱(へんき)をうける慣習を破って義久と命名し,それを諫めた関東管領上杉憲実を討とうとしたため,憲実は8月に上野国に退き,持氏は武蔵国府中に出陣。将軍義教が今川範忠・武田信重・小笠原政康を持氏追討軍として関東に派遣すると,鎌倉の三浦時高は持氏から離反して大倉御所を焼き,憲実も武蔵国分倍河原(ぶばいがわら)(現,東京都府中市)に陣をしいた。持氏は降伏して11月に武蔵国金沢の称名寺で出家,鎌倉の永安(ようあん)寺に移った。翌年2月,義教の命令で憲実が同寺を攻め持氏を自害させた。この結果4代にわたる鎌倉公方の東国支配は幕をおろした。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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