負名(ふみょう)
平安時代の公田請作人。受領(ずりょう)に対して所当官物などの納税を請け負った田堵(たと)クラスの有力農民。その呼称は田地の名を自分自身に負うことによる。初見は988年(永延2)の尾張国郡司百姓等解文(げぶみ)。当時の史料には「平民公田之負名」「出作負名」「出挙(すいこ)負名」などとみえる。徴税単位(土地)としての名(みょう)(負田)をさすこともある。律令制下では徴税は郡司と戸主の間でなされたが,郡司層の没落や律令制の変質によって郡司の部内支配が崩壊したため,受領は直接負名を掌握することによって徴税を実現する体制が出現した。のちに名主(みょうしゅ)とよばれるようになるが,在地領主層の台頭とともに負名体制は崩壊していった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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