藤原頼通(ふじわらのよりみち)
生没 992.1.-~1074.2.2 宇治殿とも。平安中期の貴族。道長の長男。母は源倫子で教通・彰子らと同母。1003年(長保5)正五位下となり,累進して06年(寛弘3)正三位。17年(寛仁元)内大臣となり,父に譲られ26歳で摂政となる。翌々年父の出家後に関白。21年(治安元)従一位左大臣。後一条・後朱雀・後冷泉朝に関白を勤め,荘園整理も行う。52年(永承7)宇治別業(べつぎょう)を寺(平等院)とし,鳳凰堂を建立。60年(康平3)左大臣を辞すが翌年太政大臣。64年氏長者を弟教通に譲り,68年(治暦4)政界から引退して宇治に住んだ。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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