藤原秀衡(ふじわらのひでひら)
生没 1122~87.10.29 平安末~鎌倉初期の武将。奥州藤原氏3代目の当主。基衡の子。母は安倍宗任の女。1170年(嘉応2)従五位下,鎮守府将軍となる。81年(養和元)従五位上・陸奥守。平泉を拠点として陸奥・出羽両国に強力な支配を展開した。源平争乱に際しては,双方から誘いをうけたが動かなかった。源義経の保護者で,源頼朝の追討令が出たのちも義経をかくまったことが,平泉攻めの口実となった。無量光院を建立。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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