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藤原忠平(ふじわらのただひら)

生没 880~949.8.14 小一条殿とも。10世紀前半の公卿。基経(もとつね)の四男。母は人康(さねやす)親王の女。同母兄に時平・仲平,同母妹に醍醐天皇の中宮穏子(おんし)。諡は貞信公。900年(昌泰3)参議となるが,辞退して叔父清経に譲る。908年(延喜8)還任(げんにん),翌年時平の死にともない従三位権中納言・氏長者(うじのちょうじゃ)となり,以後累進して914年右大臣。抜擢の背景には宇多法皇・穏子の影響が推測される。朱雀(すざく)・村上両天皇のもとでは摂政・関白・太政大臣を勤めた。70歳で病没。贈正一位,封信濃国。温厚な性格だったと伝えられる。忠平の時代は律令制の最終段階であるとともに,摂関の制度的成立,儀式や故実の集成など,摂関政治体制の成立期でもあった。日記「貞信公記」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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