半済(はんぜい)
南北朝期に兵粮米(ひょうろうまい)の現地調達のため行われ,その後,室町幕府の土地政策の根幹となった制度。本来は年貢などを半分納入することをさしたが,やがて下地(したじ)の折半をともなうようになった。1352年(文和元・正平7)足利尊氏が寺社本所(ほんじょ)領の年貢半分を兵粮料所として守護に預けたことに始まり,その後,西国各地で守護による実質的半済が行われ恒常化する。68年(応安元・正平23)皇室・摂関・寺社一円領の半済を停止して大荘園領主を保護する一方で,その他諸国の本所領の半済を認めたため,守護領国制下での荘園の解体が進んだ。15世紀後半~16世紀に,百姓の半済(年貢半納)要求や,山城国一揆による半済実施などが確認できる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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