備後国(びんごのくに)
山陽道の国。現在の広島県東部。「延喜式」の等級は上国。「和名抄」では安那(やすな)・深津・神石(かめし)・奴可(ぬか)・三上・恵蘇(えそ)・沼隈(ぬのくま)・品治(ほむち)・葦田・甲奴(こうの)・御調(みつぎ)・世羅・三谿(みたに)・三次(みよし)の14郡からなる。国府は「和名抄」に葦田郡(現,府中市)とあるが,当初は安那郡(現,福山市神辺町)か。国分寺・国分尼寺は安那郡におかれた。一宮は吉備津(きびつ)神社(現,福山市新市町)。「和名抄」所載田数は9301町余。「延喜式」では調庸として塩・鉄・鍬などを定める。7世紀後半に吉備国を前・中・後に3分割して成立。守護は鎌倉時代は土肥氏から長井氏,室町中期は山名氏であった。戦国期は尼子氏・大内氏が勢力をのばし,のち毛利氏の支配となる。江戸時代は広島藩・福山藩や豊前国中津藩領・幕領があった。1868年(明治元)幕領は倉敷県となり,71年の廃藩置県の後,旧福山藩領など東南6郡が深津県(のち小田県)となったほかは広島県に属し,その後の変遷をへて76年備後国はすべて広島県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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