広島藩(ひろしまはん)
芸州藩とも。安芸国広島(現,広島市)を城地とする外様大藩。関ケ原の戦までは毛利氏の領地であったが,戦後,尾張国清洲から福島正則が入封。関ケ原の戦の功により,安芸・備後両国など49万8200石余を領した。1619年(元和5)正則は居城の無断修復を理由に除封され,かわって紀伊国和歌山から浅野長晟(ながあきら)が入封。藩領は安芸一国および備後の西半国に及ぶ42万6500石余。以後12代にわたる。17世紀の半ば頃までに,本格的な領内検地の実施や行政機構の整備などを通して藩政の基礎をほぼ確立。のち農村支配機構の強化をはかるが,これに対して1718年(享保3)全藩規模の一揆がおこった。幕末,郡制機構の整備と軍備の強化,財政再建など改革を推進。特産物としては木綿・木材・紙・鉄・塩などがあり,早くから専売制度を実施。詰席は大広間。藩校修道館(1866設立)。2代光晟のとき松平姓を許され,以後公式には松平を称した。支藩の三次(みよし)藩は1720年に断絶,30年広島新田藩をおく。廃藩後は広島県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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