広沢真臣(ひろさわさねおみ)
生没 1833.12.29~71.1.9 幕末・維新期の萩藩士,新政府の指導者。長門国萩城下に生まれ,波多野家の養子となる。旧姓柏村。のち広沢と改姓。藩の要職を歴任し,尊王攘夷派に接近。禁門の変に敗れて幕府の追討をうけ,恭順派が藩政を握ると投獄された。倒幕派の勢力回復により出獄し,木戸孝允(たかよし)とともに藩政を指導。1867年(慶応3)大久保利通(としみち)らと倒幕を協議し,討幕の密勅をうけた。翌年新政府の参与,ついで民部大輔・参議に任じられた。69年(明治2)木戸・大久保・後藤象二郎らと版籍奉還の実現に尽力。71年東京の私邸で暗殺され,多くの容疑者が捕らえられたが,証拠に乏しく犯人は不明のままとなった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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