平沼騏一郎内閣(ひらぬまきいちろうないかく)
平沼騏一郎を首班とする内閣(1939.1.5~8.30)。閣僚人事は半数が第1次近衛内閣からの留任で,近衛前首相も無任所国務大臣として入閣したが,政策面では前内閣より穏健化した。内政に関しては各種の革新政策をとりさげて議会・経済界の支持をとりつけ,外交に関しては前内閣の汪兆銘(おうちょうめい)工作に代表される「東亜新秩序」構想に対して,対英米協調路線や非公式ながら蒋介石(しょうかいせき)政権重視をめざした。しかし日独伊三国防共協定の強化を主張する軍部と内閣の方針が食い違ったため,協定強化交渉をめぐって閣内対立が激化。独ソ不可侵条約の締結を機に「欧州情勢は複雑怪奇」という声明をだし,1939年(昭和14)8月28日総辞職。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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