日向国(ひゅうがのくに)
西海道の国。現在の宮崎県。「延喜式」の等級は中国。「和名抄」では臼杵(うすき)・児湯(こゆ)・那珂・宮埼・諸県(むらがた)の5郡からなる。国府・国分寺・国分尼寺は児湯郡(現,西都市)におかれた。一宮は都農(つの)神社(現,都農町)。「和名抄」所載田数は4800余町。「延喜式」では調庸として綿・鰒(あわび)など。「古事記」「日本書紀」に天孫降臨以下のいわゆる日向神話がみえる。8世紀初めに薩摩国・大隅国を分出。11世紀前期に現在の都城市付近に成立した島津荘は,その後薩摩国・大隅国に拡大し,鎌倉初期には日向国内約8000町の田地のうち5割弱が島津荘に寄郡(よせごおり)となる。守護は鎌倉時代の大半は北条氏,南北朝期は大友氏・細川氏など。14世紀末に島津氏が守護となり,在地土豪の伊東氏・土持氏と激しく抗争した。江戸時代は,延岡・高鍋・佐土原・飫肥(おび)藩のほかは鹿児島藩領と幕領にわかれ,その領域もたびたび変化した。1871年(明治4)の廃藩置県の後,美々津県・都城県となり,73年宮崎県が成立。76年鹿児島県に合併。83年宮崎県が分離独立,そのとき諸県(もろかた)郡の一部は鹿児島県に所属した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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