敏達天皇(びだつてんのう)
記紀系譜上の第30代天皇。6世紀後半の在位という。渟中倉太珠敷(ぬなくらのふとたましき)天皇,また訳語田(おさだ)に宮を開いたことから訳語田天皇とも称する。欽明天皇の第二子。母は宣化天皇の皇女石姫(いしひめ)。はじめ息長真手(おきながまて)王の女広姫(ひろひめ)を皇后とし,その死後は天皇の異母妹の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)尊(推古天皇)を皇后とした。欽明の後をうけ,任那(みまな)復興に努力したがはたせなかった。皇后のための私部(きさいちべ)を設置するなど,宮廷制度を整備する一方,仏教を排斥したという。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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