備前国(びぜんのくに)
山陽道の国。現在の岡山県南東部。「延喜式」の等級は上国。「和名抄」では和気(わけ)・磐梨(いわなす)・赤坂・邑久(おおく)・上道(かみつみち)・御野(みの)・津高・児島の8郡からなる。国府は上道郡(現,岡山市)と推定され,国分寺は赤坂郡(現,赤磐市)におかれた。一宮は吉備津彦神社(現,岡山市)。「和名抄」所載田数は1万3185町余。「延喜式」には調として絹・糸のほか種々の土器がある。吉備国を7世紀後半に前中後に3分割したうちの一つで,713年(和銅6)北部が美作国として分立。刀の産地としても知られる。鎌倉時代には土肥実平(さねひら),ついで佐々木氏・長井氏などが,室町時代には赤松氏・山名氏が守護となり,戦国末期に宇喜多氏の領国となる。関ケ原の戦後小早川秀秋が入国,その後池田氏が岡山藩主となる。1871年(明治4)の廃藩置県により岡山県となり,数度の統合をへて76年旧美作国・備中国をあわせた現在の岡山県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう