肥前国(ひぜんのくに)
西海道の国。現在の佐賀県と,対馬・壱岐を除く長崎県。「延喜式」の等級は上国。「和名抄」では基肄(きい)・養父(やぶ)・三根(みね)・神埼・佐嘉(さが)・小城(おぎ)・杵島(きしま)・藤津・松浦(まつら)・彼杵(そのき)・高来(たかく)の11郡からなる。国府・国分寺・国分尼寺と一宮の河上神社は佐嘉郡(現,佐賀市大和町)におかれた。「和名抄」所載田数は1万3900余町。「延喜式」では調に海産物が多い。かつての火(肥)国(ひのくに)が前後にわかれた。福井洞穴や吉野ケ里などの遺跡に恵まれ,「魏志倭人伝」の末盧(まつら)国の故地でもある。中世には勅旨田に由来する神埼荘や河上神社領などの荘園が広がる。一方松浦党(まつらとう)などの水軍が発展し,倭寇の根拠地ともなる。守護ははじめ少弐(しょうに)氏,のち鎮西探題・九州探題の兼任が長い。戦国期には竜造寺・松浦・有馬・大村氏らの群雄が割拠した。近世には佐賀・唐津・平戸・大村・久留米・福江の各藩が成立。長崎は幕領として唯一の外国に対する窓口となった。1871年(明治4)の廃藩置県の後,伊万里県(翌年佐賀県と改称)・長崎県に統合された。のち多少の変遷をへて,83年佐賀県と長崎県になる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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