東山殿(ひがしやまどの)
15世紀末に京都の如意ケ嶽(にょいがたけ)西麓に造営された将軍足利義政の山荘。義政の死後遺言によりその菩提を弔うための寺院に改められ,慈照寺となった。1482年(文明14)義政の隠棲所として浄土寺寺域に造営を開始。83年に常御所(つねのごしょ)が完成し,義政が入居。85~88年に西指庵(せいしあん)・超然亭(ちょうねんてい)・浴室・持仏堂(東求堂(とうぐどう))・会所・泉殿・庭・船舎・竜背橋(りゅうはいきょう)などが順次完成。89年(延徳元)に観音殿(銀閣)上棟。義政は造営のために山城国に荘園をもつ領主に銭・人夫を要求したほか,幕府からも守護に出銭を命じ,諸国に賦課した段銭(たんせん)や,遣明船の収益をも投入した。90年の義政の死後も遺構は16世紀半ばまでほぼ存続したが,その後は多くが戦乱で喪失した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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