堀越公方(ほりごえくぼう)
「ほりこしくぼう」とも。室町中期~戦国期に伊豆国田方郡北条の堀越(現,静岡県伊豆の国市)を居所とした,関東公方足利政知(まさとも)のこと。政知は8代将軍義政の弟で,京都天竜寺香厳院の院主となっていたが,鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を殺害して下総国古河(こが)(現,茨城県古河市)に走ったため,義政の命で還俗,成氏に対抗して関東の主となるため,1458年(長禄2)に東下。しかし鎌倉には入れず,堀越を居所とした。政知に先行して京都から下った渋川義鏡(よしかね)や上杉教朝(のりとも)・政憲父子が補佐にあたった。しかし関東支配の任を負って送り込まれたものの,独自の基盤を築くことはできず,しだいに衰退し,91年(延徳3)死去。その跡を継いだ子の茶々丸は北条早雲に殺され,堀越公方は滅亡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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