生没 1860.2.28~1912.10.5 明治期の憲法学者。陳重(のぶしげ)の弟。伊予国生れ。東大卒。ドイツ留学をへて,1889年(明治22)帝国大学教授となり,憲法講座を担当。民法典論争に際し「民法出テゝ忠孝亡フ」を著し反対した。以後法典調査会査定委員・貴族院勅選議員・宮中顧問官などを歴任。学説が権力的・概念的であったため,有賀長雄(あるがながお)・美濃部達吉などの批判を浴びた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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