堀田正睦(ほったまさよし)
生没 1810.8.1~64.3.21 幕末期の老中。下総国佐倉藩主。父は正時。相模守・備中守。従兄正愛(まさちか)の養子となり1825年(文政8)遺領相続。29年奏者番就任以来,寺社奉行兼帯・大坂城代・西丸老中を勤め,41年(天保12)本丸老中となり天保の改革を支えたが,43年罷免。55年(安政2)阿部正弘の推挙により老中首座となり翌年外国御用取扱。58年アメリカ駐日総領事ハリスの出府・将軍謁見を実現。日米修好通商条約を審議し,勅許をえるために上京するが失敗。直後,井伊直弼(なおすけ)が大老に就任し無勅許調印を行い,正睦は責任を転嫁され罷免。翌年隠居,62年(文久2)蟄居。学問振興のため藩校成徳書院・演武場を設け,蘭学者佐藤泰然を招き私立病院順天堂を開かせた。これにより「西の長崎,東の佐倉」と称されるほど蘭学が興隆した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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