北家(ほっけ)
藤原四家の一つ。不比等(ふひと)の次男房前(ふささき)の別称。平城宮の北にその邸宅が所在したことにちなみ,子孫も北家と称した。嵯峨朝に内麻呂・冬嗣(ふゆつぐ)が活躍して嫡流となり,人臣初の摂政良房(よしふさ)や初代関白基経(もとつね)らを輩出。一時中断した摂関を再開した忠平,その次男師輔(もろすけ)の子孫が代々摂関を継承し,3人の女を中宮にした道長に至り全盛期を迎える。摂関家はのち近衛・鷹司(たかつかさ)・九条・二条・一条の五摂家にわかれ,明治維新まで続く。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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