宝暦事件(ほうりゃくじけん)
江戸中期に尊王家竹内式部(たけのうちしきぶ)らが処分された事件。1756年(宝暦6)京中洛外で,神道や崎門(きもん)学派の儒学を学んだ式部が公家衆に軍学武術を指南しているとの風聞がたち,同年12月京都町奉行の取調べをうけたが,このときは大きな問題にならなかった。しかし式部の学に傾倒した桃園天皇の近習衆が,天皇に垂加流による「日本書紀」神代巻の講釈を進講したため,危惧した関白ら摂家衆と近習衆との対立をうみ,ついに58年摂家衆が天皇を説得して徳大寺公城(きんなり)ら,式部門人の公家衆を大量処分するとともに,式部を京都所司代に告発した。これにより式部は,59年5月重追放の処分をうけた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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