北条早雲(ほうじょうそううん)
生没 1432~1519.8.15 戦国期の武将。戦国大名後北条氏の初代。北条氏を称するのは2代氏綱以後で,早雲は伊勢新九郎と称した。入道して早雲庵宗瑞(そうずい)。京都の出身で,1469年(文明元)頃駿河に下向したという。76年以後今川氏の内紛に関係。87年(長享元)駿河国興国寺城(現,静岡県沼津市)城主となり,以後独自の勢力圏を築いた。93年(明応2)堀越公方足利政知の遺児茶々丸(ちゃちゃまる)を攻めて伊豆を,95年大森藤頼を追って相模国小田原を制圧。また扇谷(おうぎがやつ)上杉氏を支援して武蔵・相模で山内上杉氏と戦った。1516年(永正13)三浦義同(よしあつ)を滅ぼして相模全域を制圧。この間検地の実施や貫高の整備に着手したほか,家訓・家法(「早雲寺殿二十一箇条」)を制定したといわれる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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