保(ほ)
「ほう」とも。�@律令制下の行政組織。郷・里の下部の単位として人為的に編成された。5戸を1単位(五保とも)として保長がおかれ,貢租・徴税や防犯の徹底,浮浪逃亡の防止のために保内で相互に援助や監視を行った。702年(大宝2)の御野(みの)国戸籍では保が5戸から構成されるが,それ以後の奈良時代の戸籍・計帳では保の実態は不明瞭である。�A平安京の地割単位。1坊を4保,1保を4町として保を設定した。899年(昌泰2)には左右両京に結保帳(けつほちょう)を作成させるなど,平安初期には主として京内において重視された。�B平安後期~中世に現れる国衙(こくが)領内の所領の単位。荘・郷・別名と併称された。開発領主の保の設定申請を国司が承認することによって成立した。多くの場合,開発領主は保司(ほうし)または公文職(くもんしき)となって在地を支配した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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