伊能忠敬(いのうただたか)
生没 1745.1.11~1818.4.18 江戸後期の測量家・地理学者。字は子斎,通称は三郎右衛門のち勘解由(かげゆ),東河と号した。上総国山辺郡小関村の網元の家に生まれる。幼時に母を亡くし,婿養子の父は実家に戻って再婚,そこにも落ち着けず,17歳で佐原(現,千葉県佐原市)の伊能家の婿となる。伊能家の繁栄に尽くし,50歳で隠居。江戸深川黒江町に転居し,幕府天文方高橋至時(よしとき)に師事して天文学を修める。緯度1度の里数確定を期し,師の助力で幕府の許可を得て,1800年(寛政12)奥州道中と蝦夷地東南沿岸を測量。その年中に略図を呈上した。期待にこたえる測地成績・地図作成で幕府の評価は高く,以後14年(文化11)まで沿岸中心に全国を測量した。後半生をかけた実測にもとづく日本全図「大日本沿海輿地(よち)全図」の作図中死去。完成は孫忠晦(ただのり)らによる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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