伊東巳代治(いとうみよじ)
生没 1857.5.7~1934.2.19 明治~昭和前期の官僚・政治家。肥前国長崎生れ。伊藤博文のもとで大日本帝国憲法など法典の調査・起草にたずさわった。枢密院書記官長をへて,1892年(明治25)第2次伊藤内閣の内閣書記官長。日清戦争では全権弁理大臣として批准書を交換。その後枢密顧問官となり,1903年には帝室制度調査局副総裁として皇室令を制定。原敬時代の政友会には理解を示す態度をとった。17年(大正6)臨時外交調査委員会委員となり,政府の方針を批判した。27年(昭和2)の金融恐慌に際し,台湾銀行救済緊急勅令案を枢密院で否決させて第1次若槻内閣総辞職の要因を作り,30年のロンドン海軍軍縮条約でも批准反対の論陣をはった。日記の一部が写本で伝わる(「翠雨荘(すいうそう)日記」)。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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